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世界の危険な場所 [不思議]

チェルノブイリ遊園地(ウクライナ)

"チェルノブイリ原子力発電所事故
1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故により、
放射性物質に汚染されゴーストタウンと化した。ほとんどの住民は事故後、
他所に避難したままだが、少数の(主に年老いた)住民は
チェルノブイリで余生を過ごすことを望んだため、
完全に無人にはなっていない。"

セドレツ納骨堂(チェコ共和国)

"セドレツ納骨堂
セドレツ納骨堂は、チェコの首都プラハから東に約70キロほどの町
クトナー・ホラ近郊のセドレツにある納骨堂。
この教会と納骨堂は約4万人の人骨を保管し、
そのうち約1万人分の人骨を用いて礼拝堂内の装飾をしていることで知られる。"

青木ヶ原樹海(日本)

"青木ヶ原
青木ヶ原樹海・富士の樹海とも呼ばれ、一説に因れば山頂から眺めると
木々が風に靡く様子が海原でうねる波のように見えることから
「樹海」と名付けられたとも言われる。
俗説にあるような「一度入ったら出られない」ような恐ろしい場所ではないのだが、
これらの危険を防ぐためには、何よりも遊歩道から逸れないように心がけるなど、
他の山々の森を訪れる時と同様に、ある程度は心得て
行くことが必要とされる場所である。"

アコデセワのブードゥー崇拝市場(トーゴ)

"西アフリカに位置するトーゴ共和国の首都ロメの郊外に存在している
巨大なブードゥー教の儀式で使用する野生動物の一部や骨などを
材料にして作られた呪物マーケット。
サンテリアやカンドンブレ、アフリカの民間信仰なども含めた
ブードゥーならびに類似信仰の信者は、全世界で五千万人にも上るという。"

ソチミルコの人形島(メキシコ)

"観光地として世界的に有名な「La Isla de la Munecas」は、
スペイン語で「人形の島」という意味。
Don Julian Santanaとその家族は「人形の島」を作るため、
生涯の残り50年間をこの島に捧げた。
運河で溺れた幼い少女の魂を慰めるために行っていたと言われている。"

軍艦島(日本)

"端島とは、長崎県長崎市(旧高島町)にある島である。
かつては海底炭鉱によって栄え東京以上の人口密度を有していたが、
閉山とともに島民が島を離れたため、現在は無人島である。
軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている。"

コンジアム精神病院(韓国)

"韓国グワンジュ市にある精神病院。
地元の言い伝えによると10年前、患者の不思議な死が続き、
最終的には閉鎖を余儀なくされた。
現在は廃虚となっている。"

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世界の不思議オーパーツその2 [不思議]

グリゴリー・ラスプーチン

Grigori Rasputin: His Life, Murder, and Penis - Weird Worm

帝政ロシア末期の祈祷僧。
奇怪な逸話に彩られた生涯、怪異な容貌から怪僧・怪物などと形容される。
ロシア帝国崩壊の一因をつくり、歴史的な人物評はきわめて低い反面、その特異な
キャラクターから映画や小説など大衆向けフィクションの悪役としては昔から非常に人気が高く、
彼を題材にした多くの通俗小説や映画が製作された。

巨大化したニワトリ

1986年4月26日、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で、原子炉の一つが暴走し、爆発するという事故が起こった。原発史上最悪の事故として世界中が報道した事件である。

この事故により大量の放射能が放出され、30人以上の死者が出た。放射能はヨーロッパ各地で計測された他、5月上旬にはほぼ北半球の全域で計測されるほどの大量なものであった。

その原発事故からしばらく経った時、発電所の近くで、大量の放射能を浴びて巨大化したニワトリが発見された。 このニワトリの大きさは大人の男性と同じかそれ以上の身長があり、体重も100kg以上あるという。

発電所近くの農家で飼われていたものだと思われるが、放射能のためか、全身の羽は抜け落ちていた。クチバシと目が異様に巨大化し、足の部分も肥大していた 捕獲後は研究所に送られたということであるが、研究所に送られてからもまだ成長を続けた。

肉付きの面

越前の吉崎観音の霊験物語。邪悪な姑が鬼女の面をかぶって嫁を脅すと、その面が顔に食いついて外れなくなった話。 お経を唱えると面は取れたが、内側には顔の皮膚や前頭部の毛根がついたままだったと云う

ヴォイニッチ手稿

暗号とおぼしき未知の文字で記され、多数の彩色挿し絵が付いた230ページほどの古文書。暗号が解読できないので、何語で書かれているのか、内容が何なのか不明である。また、多数の挿し絵も本文とは無関係であるとの説もある。
作成時期は14世紀から16世紀頃と考えられている。アリゾナ大学で行われた放射性炭素年代測定により、使用されている羊皮紙は1404年から1438年に作られたと判明した。だが執筆時期はさらに後年の可能性がある。
手稿の名称は発見者であるポーランド系アメリカ人の古書商、ウィルフリッド・ヴォイニッチ(en)にちなむ。彼は1912年に、イタリア・ローマ近郊のモンドラゴーネ寺院で同書を発見した。現在はイェール大学付属バイネキー稀書手稿ライブラリが所蔵する。

火星のモノリス

アポロ11号の月面着陸40周年を記念して行われたTVインタビューのなかで
バズ・オルドリン宇宙飛行士が火星で人工的に作られたと見られる「モノリス」を発見したと
言及したことに関連して、オルドリン宇宙飛行士が言及した火星の衛星画像の管理を行っている
アリゾナ大学は、問題の物体は巨礫(きょれき)である可能性が高いとの見解を発表した。
巨礫とは岩石の塊を示す地質学の用語。

アンティキティラ島の機械

1901年にアンティキティラの沈没船から回収されたが、その複雑さや重要性は何十年もの間気づかれることがなかった。紀元前150 - 100年に製作されたと考えられており、同様な複雑さを持った技術工芸品は、その1000年後まで現れることはなかった

アンティキティラ島の機械は最古の複雑な科学計算機として知られている。機械の作りが完璧なため、発見されていない試作品や類似の機械の存在が予想されるが多くの歯車が組み合わさっており、最古のアナログコンピュータと呼ぶ人もいる 。
ギリシャの天文学者らにより進められた天文学と数学の理論に基づいて製作されたとされ、紀元前150 - 100年に作られたと推定される。ひとつの仮説として、古代ストア哲学者ポセイドニオスによりロードス島に設立され、当時の天文学と数学(ただしギリシア人は「ゼロ」を知らなかった)の
中心として知られていたアカデミーでこの機械は製作されたと考えられており、月の運行の計算技術に天文学者ヒッパルコスの理論が用いられているため、おそらくポセイドニオスかヒッパルコスが製作に関わっているとみられている。

水晶のドクロ

「ヘッジス・スカル」はイギリス人の探検家ミッチェル・ヘッジスが中央アメリカのベリーズのルバトュムのマヤ遺跡で発見した、水晶で作られたドクロ(頭蓋骨)の模型である。
このドクロは、重さは約5kgで、高さと幅が12.5cm、長さが17.5cm。
外観の正確さはもちろんのこと、下アゴの部分は動くように作られていて、口を閉じたり開いたり出来る。また、光の屈折率やその効果も計算されており、ドクロの下から光を当てるとドクロ全体が赤く光り、目の部分が発光する。
ドクロの下に文字を書いた紙を置くと、ちょうど目の部分から文字が読めるようになっており、真上から見ると文字が拡大して見える。水晶は、非常に堅い物質で、現代の技術をもってしてもこれと同じものを作るのは困難とされている。

マヤ人の遺跡から発掘された道具としては、木や石、動物の骨などで、水晶を加工出来るようなグラインダーのようなものは発見されていない。マヤ人たちが、こういった高度な技術を要するものをどうやって作ったのかは判明していない。

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世界の不思議 オーパーツ [不思議]

聖ヨゼフの階段

サンタフェにあるロレット・チャペルは、建築家 P.ムーリーによってが設計されて1873年から工事が始まった。しかし構築物がほとんど完成されてから一つの恐るべき誤りが発見された。

せっかく作られた聖歌隊用の二階の桟敷行く階段が無いのである。困ったシスターたちは、多くの大工を呼び相談したが、皆、これに、ふさわしい階段できない。バルコニーを作り直すか、ハシゴで登るかだというダケだった。途方に暮れたシスターたちはノヴェナ[九日間の祈り]をすることにしたという。そしてノヴェナの最後の日に一人の灰色の髪の毛の男が一匹のロバを連れやってきた。その老人は一つの道具箱を持ってアカデミーの所で止まり、シスターたちのために一つの階段を建設することができるかどうかを尋ねた。シスター達は喜んで同意すると、彼はシスターたちの前で木片をタライにつけて作業を開始した。

用いた道具は一本の鋸、T定規それに金槌だけ。出来上がった階段は33段、完全に360度を2回転するらせん状。木の釘は使われているが、鉄の釘は一本も使われていない。そして驚くことに、螺旋階段を支えるはずの支柱がなく、まるで宙に浮いているようにみえる。

この支柱の無い現在の科学を持ってしても建築工学上の謎であり奇跡といわれている。そして階段が完成すると、その男の人は支払いを受ける前に不思議にも姿を消してしまったという。なお、地方の材木工場は、この事業のために購入されたいかなる木材の記録も持っていなかったという。

マンドラゴラ

魔術や錬金術の原料として珍重される植物。絞首刑になった男の精液から生じるという言い伝えがある。  
人の体のような根がその本体であり、引き抜くときにこの世のものとは思えないような悲鳴を上げるとされ、この悲鳴を聞いたものは発狂して死んでしまうという伝説がある。 このため、マンドラゴラを採取する際には、注意深く値を掘り、人が遠くに離れてから、 犬に引っぱらせて引っこ抜くという手間をかけるという方法が取られる。

その手法はこうだ。マンドラゴラに犬を結び付けて人は遠くに離れるそして十分な距離を取ったのちに大声で犬を呼ぶ。 犬が人の方へ駆け寄ろうとする勢いで、マンドラゴラは悲鳴を上げながら抜ける。 当然、この声を聴くことになる犬は発狂して死んでしまう。

市場では、その時に死んだ犬の死体を本物の証明としてマンドラゴラの証明として、一緒に取引される。 十分に成熟したマンドラゴラは、自ら地面から這いだし、自らの先端の根っこを足のように使い徘徊すると言われる。 その姿はコボルトやごプリンに似ていると言われる。
 
地中海地域から中国西部にかけてに自生する植物であるマンドレイクが、マンドラゴラのもとになったと言われているが、このマンドレイクも人の体のように枝分かれする根を持ち、その根には幻覚、幻聴を伴い時には死に至る神経毒を持っている。

デスバレーの動く岩 ムービングストーン

ムービングストーン デスバレー国立公園の自ら動く石

米国カリファルニア州のデスバレー国立公園に奇妙な石がある。干からびた大地の上に点在する数十個の石に、それぞれてんでバラバラに引きずられた後がついているのだ。
近年では、監視する取り組みもおこなわれているが、その瞬間を見た人は誰もいない。ただ気がつけば石が動いた軌跡のみが残されているという。
 
このことは古くら知られており、1948年には地質学者ジム・マクアリスターらが、エリアの岩盤をマッピングしその謎を探ろうとした。国立公園の博物学者たちも、この謎に取り組もうとさまざまな記録を残している。現在有力な仮説として、ジョン・リード博士の説がある。このデスバレーで、冬季に雨が降ると浅い湖が出来て、夜になると表面に薄い氷が張という事から、 その氷が石に付いて地表からわずかに意思を浮かせ、そこに強風が吹くと石が移動することになるのではないかという説である。しかし、それにしては石の軌跡がそれぞれに違い、時には蛇行したり、鋭角に曲がったり、また逆方向へ進んでいたりするという説明をするためには、それぞれの石に違った方向から吹く風が当たらないと説明がつかず、完全な説明とは言われていない。

この問題は、今なお全米の科学者たちを悩まし続け、 今でもあらたな実験や仮説が提唱されては消えていく状態であるという。

ノアの方舟

旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事。または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。「はこぶね」は「方舟」のほか、「箱舟」「箱船」などとも記される 。
ノアの方舟がたどり着いたところは今のアララト山(現在のトルコ共和国東端の標高5.165mの山)の山頂、あるいは山腹だと記されている。ヴァージニア大学リッチモンド大学助教授、ポ-チャー・テイラー氏の研究によれば、アララト山の物体は長さ309m程であり物体の長さは、かのタイタニック号、そして戦艦ビスマルクといった巨大船よりも更に大きく、丁度現代における最大クラスの空母とほぼ同じサイズであるという。

世界で怖い女性の絵

描かれている清楚にして凄艶な女性は東南アジア某国に住まう人妻。
これほどの美女を妻にめとりながら、夫は外に愛人をつくり、結果彼女は絶望して自殺したのだそうです。
悔やんでも悔やみきれない夫は全勢力を傾けて、妻の肖像を描き上げました。そして描き上げると同時に飛び降り自殺、帰らぬ人となりました。以降、この絵は第三者の手にわたりましたが、持ち主はいずれも発狂して死に至り、薬はいっさい効かず、ベッドのなかで大小便をたれ流し、顔をかきむしって死んでいったといいます。

ロシアのマイクロスプリング

ロシアの針葉樹林から直径10センチの石ころに5ミリ程度のボルトが突き刺さっていてそのボルトっていうのがまた不思議材質がなにで出来ているのかが全く不明。
しかも凄いことに、そのボルトに数トンの圧力をかけても全くびくともしないし、変形はおろか傷一つ付けることさえできなかったのだよしかもその石を調べると形成された年代は15億年前といわれる。周辺一帯は隕石の落下形跡がある。

異形の者。件くだん



古くから日本各地で知られる妖怪。「件」の文字通り、半人半牛の姿をした怪物として知られている。 その姿は、古くは牛の体と人間の顔の怪物であるとするが、第二次世界大戦ごろから人間の体と牛の頭部を持つとする説も現れた。慶応3年(1867年)4月の日付の『件獣之写真』と題した瓦版によると「出雲の田舎で件が生まれ、『今年から大豊作になるが初秋頃より悪疫が流行る。』と予言し、3日で死んだ」という。

明治42年(1909年)6月21日の名古屋新聞の記事によると、十年前に五島列島の農家で家畜の牛が人の顔を持つ子牛を産み、生後31日目に「日本はロシアと戦争をする」と予言をして死んだとある。

この子牛は剥製にされて長野市の八尋博物館に陳列されたものの、現在では博物館はすでに閉館しており、剥製の行方も判明していない阪神大震災と東日本大震災直後にも、闇で踊ってる異形の人?の目撃談もある。

世界で類似してるのがソロモンの魔王72柱のモラクスだと思われる。

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