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「3.11で犠牲になった人々の怒りが愛媛県にたまっている」 伊予大地震は、震災慰霊で金儲けした結果だった!? [予言予知]

 皆さんの心の声をお届けする「ソウルメッセンジャー」の中島あゆ子です。

 私たちの行っているスピリチュアルな世界は、「目に見えない」「科学的に証明されない」といった理由で、怪しまれたり、胡散臭いと思われてしまいがちです。

 ですが、たとえば「頑張ろう」と思った時と「いい加減」な時では、同じことを行っても結果が違うことってありますよね? 科学万能の今ではあるものの、その心の動きや感情を、科学で動かすことはできないですよね。

 ですから、さまざまな物事に対して、科学的に割り切れることと、スピリチュアルな世界のできごとは、必ず並行して一緒に発生しているといえるのです。

 いきなり難しいことを言ってしまいましたね。

 でもね、普通のことをスピリチュアルと言われてしまえば、それは違うし、一方で、全くスピリチュアルは関係ないといわれても、それは違う気がします。日本人は、どうしても「苦しい時の神頼み」ではありませんが、自分が都合の良い時だけスピリチュアルに頼ってしまうのです。しかし、それではうまくいかないことが多いのです。

 今日は、今の人々があまりにも、亡くなった方々の気持ちがわからないから、別な形で多くの魂と思念が怒っている、そんな話をしたいと思います。


■“異質”な伊予の地震

今年の3月、突然、愛媛県・伊予で大きな地震がありました。

 東日本大震災からちょうど3年、一つの節目の年に突然地震が起きたのです。今までも東日本大震災の余震というのは、何度も体験しています。東北や茨城、千葉の方々は「何を今さら、驚くことはない」と思っているかもしれません。

 しかし、科学の知識では、地震というのはプレートの境目で起きていますし、余震であれば東日本大震災を起こしたプレートの境目の近くが震源地になるはずです。そう考えると、突然、愛媛県が震源地になるというのは、今までの余震と全く異質なものということになるのです。

 これを科学で解析してもこれ以上のことは出ません。では、なぜ、この時期にこのような地震が起きたのでしょうか?

 実は、東日本大震災の犠牲になっれた方の「魂」が怒っているのです。震災が起きて、多くの方が犠牲になりました。改めてご冥福をお祈りします。

 さて、死んだ人はどのようになるのでしょうか? 実は、人間というのは「肉体」「思念」「魂」の三つのパーツでできているんです。

「肉体」は説明する必要がありませんね。「思念」は、皆さんの感情のことです。毎日毎日さまざまな出来事で変わってゆくものですね。ある意味で皆さんの「記憶」とも言えます。そして「魂」は、過去から今まで、今の皆さんの感情などをすべて記録しているのです。ですから「記憶」の「記録装置」ということが言えます。

「思念」と「魂」は肉体と一緒に移動し、肉体によってさまざまな新しいことを体験し記録するのです。

 しかし、東日本大震災のように、突然「肉体」が消滅してしまったら、そこで人間は終わってしまいます。しかし、「思念」も「魂」もその時のまま残ってしまいます。それ以上新しい記憶をすることができず、その場でとどまってしまうんですね。この2つのことを「幽体」と「霊体」といいます。

 そう、この二つから「体」がなくなると「幽霊」になるんです。

 感情は、その時の記憶のまま止まってしまいます。肉体がないので、新たな記憶を作ることができないのです。また「魂」はその最後の瞬間の記録で止まってしまいます。津波に襲われて「怖い」愛する人と会えなくて「悲しい」そんな感情で記録が途絶えてしまうんです。

もちろん、これは私たちではどうすることもできません。地震に対抗できるような人はいないんですから。

 でも、そのような「悲しい気持」「怖いという感情」から、そのような「思念」と「魂」を開放してあげることはできます。ちゃんと慰霊して、ちゃんと次の世代「来世」に送ってあげればよいのです。東日本大震災が起きて、しばらくの間は、みんな本当に「慰霊」していました。復興のためのボランティアもたくさんいらっしゃいましたし、日本の国すべてが、いや、世界各国すべての人が「応援」してくれていました。

 しかし、3年経ってどうでしょう。

「慰霊」「復興」とは名ばかりの「金儲け」ばかり。NPO法人での不正や、補助金の着服もあまりにも多すぎますし、また、被災者の中には、復興に努力せず、補助金をもらってパチンコ三昧の日々という人もいます。もちろん、大事な人を失ってしまったために、すべてのやる気がなくなってしまったり、立ち直れなかったり、それでそのようなことで気を紛らわしている人も少なくないかもしれません。しかし、そのようなことをして「亡くなられた方の感情」は喜ぶでしょうか? いや、犠牲になった方が安心して「来世」に向かって旅立てるでしょうか?

 震災から3年たっても「慰霊」してくれない…、そんな人の「悲しい」「怖い」というマイナスの感情が、大きく固まっています。そして、今の日本の人々、ちゃんと肉体を持っている人の行動を見ています。そして、自分たちが「来世」に行けるように、そして、自分たちのマイナスの感情を癒やしてくれるのを待っています。それでも金儲けばかりの現在の人々に対して怒っているのです。

 そんな「マイナスの力」の塊が、なぜ、四国に来たのでしょうか?

 今年は四国八十八か所めぐりが行われて1200年です。空海がちょうど四国をめぐり、悟りを開いてから1200年ということですね。四国というのは「死」の国として、存在しています。あまり良い言い方ではないので、少し解説します。

 通常、浄土というのは「西」にあると考えられていて「西方浄土」なんて言います。西に太陽が傾いて、海に映ると、そこに光の道ができて、その光の道の向こうの「光の世界」が「浄土」であると考えられていました。だから、「死んだら水の上を歩ける」なんて言いますし、お釈迦様がハスの花の上にいるというのも、そのような考え方からなんですね。

 しかし、四国は、西側に「生きている人」の住む陸地があるのです!! これでは、光の道ができても西方浄土に行けません。そこで、四国は「死国」というよりは、「自分で公正する国」として考えられていました。ちょうど国が四つあって「四」と「死」が音が一緒ということもあったのかもしれません。その「四国八十八か所めぐり」のスタートは、阿波の国、現在の徳島県なんです。そして、そして、ちょうど3つ目の国、まさに3年たってつく国が「伊予」、要するに愛媛県なんですね。

 その意味で、浮かばれない、悲しいマイナスの思念の塊の怒りは、ちょうど「愛媛県」のあたりにたまってしまったのです。

 そしてその力が、自分たちの恐怖した思いを再度引き起こすのです。自分が体をなくしたときで記憶が完全に止まるわけです。その時の記憶の通りに、同じことを引き起こしてしまいます。今回の場合は、その思いが四国の愛媛県の当たりにたまり、そして自分たちの悲しみの「瞬間」を再現します。まさに、地震が発生したのです。

 ほかの余震がすべてそうなっているとは言いません。しかし、「慰霊」といいながら金儲けをし、全く「慰霊」を行わないといいような状態では、悲しみが言えることはありません。その力が、自分の悲しみをわかってもらおうと、その悲しみのあったときと同じことを再現してしまうのです。

 ココロの力、思念の力、これは非常に大きなものです。自分の思念で自分の身体を悪くしてしまう人も少なくありません。その力が大きくなると、地震がおきたり災害が発生したりしてしまいます。ちゃんと魂のこと、思念の声を聴きながら生活しないと、思わぬ禍になってしまいます。

 皆さんも気を付けてください。

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